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「光源氏」のモデル・藤原道長はプレイボーイだったのか? 女性関係は自重していた?

日本史あやしい話45

 

■藤原道長のモデル説は正しいか?

 

 道長とは、いうまでもなく、藤原摂関家の嫡流で、太政大臣にまで上り詰めて位人臣を極めた御仁である。紫式部が『源氏物語』を書くにあたって必要な紙などを提供していたところから、紫式部にとっても大事なパトロン的存在であった。

 

 ちなみに、日本初の系図集『尊卑分脈』には紫式部が道長の妾と記されているが、真偽のほどは不明。それでも、道長が紫式部の才を見込んで、彰子の家庭教師代わりとして仕えさせたというあたりは間違いなさそうだ。

 

 この道長が、娘・彰子の元へと頻繁に訪れているから、彰子付きの女房であった紫式部と対面することも少なくなかった。いうまでもなく、当時の道長は、一条天皇の義父。孫が生まれて即位しようものなら、天皇の外祖父として絶大な権勢を誇ることができるとあって、道長の期待も大きかった。彰子に仕える紫式部にとっても、主家筋にあたる道長の躍進は、誇り高きことだったに違いない。

 

 勇者としてその名が知られた源頼光からも、「将帥の器」と褒め称えられたほどの堂々たる人物だったという。文武両道で、また、地位からしても、華やかさは格別。光源氏像にその華やかさが投影されていたと見なしても、無理はないだろう。

 

 また、道長も光源氏も、娘を入内させて外戚としての地位を確立させようとしていた点も共通している。道長は長女・彰子を皮切りとして、次女・姸子を三条天皇に、四女・威子を後一条天皇に嫁がせ、この三人の娘による「一家三后」を実現させたことで、この上ない権勢を誇ることができた。その意義は極めて大きい。光源氏も同様に、娘(養女も含む)を養育して何度も入内させようと試みている。

 

 彰子に子が生まれた頃を振り返ってみよう。道長は、好好爺よろしく、この孫を抱き上げて喜んでいたことが『紫式部日記』に記されている。孫におしっこをひっかけられても嬉々としていたという。

 

 実はこれとよく似た光景が、『源氏物語』にも記されているから面白い。明石の姫君に男の子(若宮)が生まれた時のこと。紫の上が若宮可愛さ余り、懐に入れて肌身離さず世話し続けるところから、おしっこで衣を濡らされてしまったことがあった。それを光源氏が、拗ねた様子を見せながらも、微笑ましく思っていたと記されている。まさにその情景は、前述の道長の場面を思い起こさせてくれそうだ。

 

 外戚の地位を確立させて栄華を極めようとする姿は、道長も光源氏も変わりなかった。これらの共通点を踏まえれば、道長が光源氏のモデルであったことは、どうやら間違いなさそうである。

 

■女性関係は自重していた?

 

 では、イケメン&プレイボーイだったかという点は、道長に当てはまるのだろうか? 残念ながら、こればかりは、期待できそうもない。実のところ、道長の容姿がどのようなものだったのか、わからないからである。イケメンだったというような話も聞いたことはない。

 

 さらに気になるのが、女性問題に関して、道長にさしたる逸話が残されていないという点である。実のところ、道長は権力者でありながらも、思いのほか女性問題においては慎重であった。

 

 『栄花物語』によれば、「たはぶれにあだあだしき御心なし」(浮気っぽい気性とは無縁である)だったという。そればかりか、「女につらしと思はれんやうに心苦しかべいことこそなけれ」(女に情け知らずだと思われるほどつらいことはない)と記しているほどだから、女にうつつを抜かすようなことは少なかったのだろう。それよりも、自らの出処進退に目を向けることに意を注いでいたというべきか。

 

 この道長の信条が事実だとすれば、行く先々で美女と戯れていた光源氏とは大違いである。しかし、前半生の色恋にまつわる部分(血筋と容姿)は、別の候補者、たとえば在原業平をモデルにし、後半生の政治の大成者としての華麗なる部分(言い換えれば、富と権力)は道長をモデルとしたと考えれば納得がいくだろう。

 

 

画像:国立国会図書館デジタルコレクション 

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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